TOWER RECORD「NO MUSICNO LIFE」シリーズに代表されるような、輝かしい広告写真の世界の一方で、銀塩写真でこそ表現できる写真の楽しさを広めようと「ゼラチンシルバーセッション」なるプロジェクトを立ち上げられるなど、その活動が多岐にわたる平間至さん。実はご実家が宮城県の塩竃市で写真館を営んでおられたと聞いて、色んな事に合点がいきました。そこでぼくは、この特集の最後を締めくくるために平間至さんのもとに伺うことにしました。
ご実家の写真館のお話を中心に、写真の未来について真摯に語っていただいたこのインタビューはとてもリアルで切実なものでした。

藤本   ご実家の写真館は今は営業されているんですか?
     
平間   今は休業中なんです。実家のひらま写真館はもともと昭和6 年から塩竃でやってきて、営業していたら今年で77年目ですね。写真館の状況もデジタルになってきたり、郊外型で独特の業態で店舗をすごく増やしていく写真館も増えたりだとか、かなり変わり目ではあると思うんですね。そんな中で、僕は自分なりの写真館観というのが出来たら、自分でも写真館をやりたいと思っているんです。でも、逆に僕は写真館出身なだけに客観的に見れないところがあって。例えばスタジオの中でキャッチボールをしたり相撲をとったり……。あと、夕方になるとおじいちゃんが天秤みたいなのを使って現像液の調合をやってたりとか……。そういう時代、僕は小学生くらいでしたけど、その頃からアシスタントじゃないですけど……手伝ってたんで、客観的になれないところが正直ありますね。だから写真館に対しては、多分、好きって気持ちだけじゃなく、愛と憎しみの両方を持ってます(笑)。
     
藤本   ああ、なるほど〜。
     
平間   簡単に割り切ったりだとか、じゃあどうしようとか、正直言えなくて常に葛藤している。地元の塩竃では、写真展をしたことから始まって、塩竃の人たちを撮ったりする写真のイベント、塩竈フォトフェスティバルを去年から始め、今後継続的に開催したいんです。何で僕は地元でここまで頑張っているかというと、写真館を閉めてしまった後ろめたさっていうのが絶対あるんだと思う。もちろん塩竃という面白い町をみんなに知ってもらいたいっていうのもあるんですけどね。だから例えばさっき、「写真館は営業されているんですか」って言われた時に多分複雑な顔をしてたんだと思うんです(笑)。
     
藤本   はい確かに(笑)。
     
平間   次の一手っていうのを僕も本当に出したいし、東京で写真家として独立して20年弱なんですけど、次の展開をしたいという気持ちもあるんですが、どうしたらいいのかが分からない。一緒に考えて下さい、写真館の今後を(笑)。
     
藤本  

本当ですね(笑)。やっぱり、この時代にも写真屋さんはたくさんのこっていて、だけど状況は確実に変わっているから、次の一手をどうするべきか本当に考えなきゃと思っているんです。地方にはフィルムの商売をなんとか諦めずに頑張っている写真屋さんがいくつかあるんですけど、その存在が見えてこないだけに、皆、ひょっとすると自分の店だけかもしれない。って思ってしまっているんです。このフリーペーパーをつくった意味の一つはそこにあるんです。

     
平間   確かに今フィルム自体が減っていっている事実はあるんだけど、そうなると逆にフィルムで撮る意味を僕を含めて考えざるをえないんですよね。もっと言っちゃうと写真を撮ることってどういうことなのか? ってことまで。以前のようにネガフィルムもカメラも当たり前のようにたくさんある頃は考える必要が無かったんだけど、今は違う。でも、それって自分が表現していくことの原点ですよね。自分のことで言っても、以前は、何となく日常にカメラや写真、写真館があって当然だったんですけど、ゼラチンシルバーセッションを経験して、「フィルムが無くなるかもしれない。じゃあフィルムって何? 写真って何?」って常に自問自答して参加していた。それは表現のうえで非常にプラスな状況だと思うんですね。音楽で言うとジャズやブルースのように、社会的に厳しい立場の人が何か訴えたくて表現をしていくわけです。そういう意味ではまさしく写真表現で考えると今は絶好の機会かもしれない。写真館の話とちょっとずれちゃうけど。
     
藤本   確かにいまは敢えてフィルムを使うっていうことになるんですもんね。
     
平間   じゃあデジタルとフィルムの違いは何なの? っていうと、一番決定的なのはフィルムは物質としてのこっていくということ。デジタルはデータなので無くなる可能性が非常に高いということ。20年後、30年後に同じパソコンやデジカメは使わないけど、20年後のアナログカメラは使えますよね。
     
藤本   そうですね。
     
平間   あと、デジタルカメラは、なぜかフィルムカメラのトーンをお手本にしていますからね(笑)。
     
藤本   どこを目指しているんだ!?っていう。
     
平間   あと、どれだけデジタルが発展しても、自分の家でインクジェットで出したデジカメ写真って、100年後はきっとのこってないですよね。だからこれからは、将来、自分の小さい頃の写真が無いっていう人が多くなると思いますよ。
     
藤本   そういう世代が出来ちゃう可能性がありますよね。
     
平間   僕はデジタルを否定するわけじゃなく、やっぱり便利なところがあるので使い分けだと思うんですよ。のこしていきたい写真や自分が表現したいものはフィルムで撮って、ちょっとした記録の時はデジタルで撮るだとか。それが、今はデジタルばかり。だから、そこで写真館がどういう風にやっていくかですよね。
     
藤本   確かに今フィルムでやっていくことはすごく商売として大変なので、「フィルムでやっていきましょう」って簡単に言い切れない。その人たちが食べていくのを考えた時に明確な答えが見つかっていないので「なんとか続けて下さい」って祈りのような言葉しか今言えていないんです。
     
平間   うん。そうですね。
     
   
     
藤本   今回「写真のことば」っていうタイトルにした理由の一つは、写真の良さやフィルムの良さを伝えるには、すごくたくさん言葉を重ねなきゃいけないって思ったからなんですね。特に、フィルムというものに、そもそも思い入れがない人達にまでなんとか頑張って届けたいという気持ちがあって。例えば、まさにさっきおっしゃっていたように、デジカメ写真はのこらないですよっていう話も、みんなハッとすると思うんです。
     
平間   そうですね。のこしたいから写真を撮るわけですよね、きっと。写真館に行くのはどういう時かっていうと、七五三とか結婚式とか非日常的なお祝いです。面白いことに写真館に来る家族っていうのは毎回来るんですよ。写真をのこす良さを知っている。
     
藤本   ほんとにそうですよね。
     
平間   自分にとって何かお祝い的な非日常を大事な思い出として自分の中で持ち続けるかどうかっていうことでしょうね。今の時代は、どうしても目の前のことや刹那的なことに流れがちなんですが、そんな中で、まだ行動には移せてないかもしれないけど、そろそろみんな気付き始めてるとは思うんです。
     
藤本   実はこの「写真のことば」presentsで、地方で頑張って写真館をやってらっしゃる人たちが一同に会するイベントをやりたいと思っているんです。そこに是非、平間さんにもご参加いただいて未来の写真館について、一緒に考えてもらえませんか?
     
平間   是非。考えていきたいですね。例えば自分でやるんだったら、もうモノクロしか撮らないとか思うんですけどね。のこしていくっていうことではカラーよりモノクロの方が良いと思うんですよね。でも、それで生活出来るかっていうとかなり厳しいだろうなと思う(笑)。っていうように、写真館の生計まで僕はこうやって話をしながらでも頭でシュミレーションしちゃうんで、知ってるだけに(笑)。そうすると迂闊に「これが良いんじゃない」とは正直言えないんですよね。
     
藤本   確かにそうですね(笑)。
     
平間   僕が見本を見せなきゃいけない立場にあると自分で思っているので。だったら例えば塩竃の写真館を東京でやってみたいですね。
     
藤本   そうですね。是非やっていただきたいです。
     
平間   やりたいという思いはあります。
     
藤本   そのときは僕たちも、いっぱい協力させて下さい。今日は本当にありがとうございました。
     
平間   リアルな気持ちを伝えようとは思っているんですが、正直自分の中でも整理しきれてない。やっぱり一番混沌としている部分でもあるんですよね。
     
藤本   だからこそ、これからのことを一緒に考えられたら嬉しいです。
     
平間   そうですね。ありがとうございます。
     
平間 至(ひらまいたる)
1963年宮城県塩竃市生まれ。日大芸術学部写真学科卒後、NYで作品制作。帰国後、伊島薫氏のアシスタントを経て、1990年独立。以後、第一線で幅広く活躍している。
http://www.itarujet.com/