いきなりですが、「フォトシエ」ということばをつくりました。
その意味をいまの気持ちのままに、一言でいうならば、”本物の写真屋さん”。

実はガテン系な職業である菓子職人の世界にパティシエということばが現れて以降、一気に若い女性たちが(正しくはパティシエールとして)、製菓学校に通い、未来の菓子職人となっていったように、写真業界においても、そのような魅力的なことばが必要なはず。
ならば、まるで美味しいスイーツのように魅力的なプリントを焼いてくれる写真屋さんのことを、フォトシエと呼んでみようと、そう思っています。ある種の軽薄さを自覚した、この「フォトシエ」ということばですが、そのことばの先にはとてもハッキリと、プリンター(プリントをする人)やラボマンと呼ばれる、写真プリントのプロの方々の姿が見えています。逆に言うならば、そんなプロの方々の姿のほかに、写真屋さんの未来を描くことがぼくには出来ません。

いま、写真屋さんは、もっとも用事のないお店とまで言われるほどに、ふつうの生活から外れた存在になってしまいました。かつてL判のサービスプリントが、写真というものを身近にしてくれた一方で、色に対するこだわりや、大判プリントに対する想像力にフタをしてしまったように、デジタルカメラの普及は、写真をプリントするという行為にフタをしてしまいました。
自宅で簡単にプリント出来るという便利さは、モニターで見れば十分というさらなる便利さに大敗し、いまではもう、モニターに映るものを写真だと理解することは、とても自然なことです。ぼくは、そのことに対して、プリントしなきゃ写真じゃないとか、そんなことを言うつもりは毛頭ありません。ただただそういう現実を前に、写真屋さんにとって必要なことは、雑貨を置くことでもサロン的な役割でもなく、写真屋としての本分を見つめ直すことだと思うのです。

今回の特集「フォトシエ」は、ぼく自身がフォトシエということばの定義について、迷い学び気づくための旅をそのままにお届けしようと思います。そしてそれはすなわち、写真屋とはいったん何なんだ? ってことを考えることに等しいのだと思います。

「写真屋さんの未来」を特集した創刊号から丸1年たったいま、改めて、写真屋さんの未来を考えます。

藤本智士(本誌編集長)