家族写真を銀塩のモノクロプリントでのこしていくことの大切さを伝えたいと、全国を巡回する移動写真館「りす写真館」。このプロジェクトの発案者でありカメラマンの伊東俊介さんにお話を伺いました。

きっかけ

もともと、家族写真を撮りはじめたのは2004年かな。知り合いのギャラリーの人に写真展をやってほしいと言われて、それじゃあ、前からやってみたかった、写真展を見に来てくれたお客さんの写真を撮ろうと。それがきっかけ。

ただ考えとしては、そのさらに数年前からあったかな。サントリー「1万人の第九」を撮影する仕事で、合唱団のスナップ写真を撮ってたんやけど、その仕事をしはじめて3年目におじさんから「去年も撮ってはりましたね」って声をかけられた。「実は、去年のパンフレットにうちの家内が写ってまして、その写真頂けないですかねえ」みたいなことを言われたので、「普段はそういうのに対応してないんですけど、なんでですか?」って聞くと、「去年の年末の第九が終わって、年が明けたその春先に家内が亡くなったんです」と。で、その写真が家族から見てもものすごくよく撮れてるし、奥さんらしい写真やなあってことで、こんなお願いをしたって言われて。その時にやっぱりすごいな写真は、って思ってん。ほんまに、ただええ写真を撮ろうと思って撮ってただけやけど、その写真が……まあ言うたら、遺影やわな。遺影として身内の人から欲しいと思ってもらえたっていう経験があって、それを撮れるって写真家冥利に尽きるなあと。

とはいえ、いきなり遺影を撮らせてくださいっていうのは難しいから、それを何かいい形でやっていけたらと思っていて、それが家族写真を撮ることにつながっていった。だから最初の思いは、家族写真というよりは肖像。あなた達の今の姿を撮らせて、みたいな感じやった。そこから、出会う人出会う人に、「家族写真撮りませんか?」って言い出してた。で、雑誌「Re:S(りす)」との出会いから、それが「りす写真館」という形につながっていく。今は「家族写真撮りましょう」っていうことが、まずはわかりやすいと思ってる。ほんまは一人一人を撮りたいくらいやけどね、家族写真とそれぞれの肖像写真を。

新しい写真館

実際に「りす写真館」をやり続けてると、わかってきたことがたくさんある。なにより、これまでの写真館っていうのは、なんであんな風にしか撮れへんのやろう?と。ああやって、みんながじっと動かないで撮るのは、明治〜昭和の撮り方で、あんなにカチっとせんでも撮れるやんって思う。今のストロボとかフィルムの性能を考えると。俺がしゃべりながら、笑わせながら撮ってるのは、俺やから撮れるんじゃない。フィルムとライトの性能がいいから。

だから「こっち向いてくださいね〜」とか言わんでも撮れるし、ライトの光量も稼げるから、ピントもちゃんと絞って撮れるねん。だから、写真館の決まった撮り方に慣れてしまってる人たちに、一度もっと適当に撮ってみたら?って言いたい。でもきっと、システムの出口と写真館の出口が同じになってしまってるから、もう完全な営業写真やねん。

実はこの間、俺もちょっとやってみたんよ。「内向いてくださいね〜」とか。でも仕上がりを見て、あかんとわかった。嘘になってる。一番最初にぽんと立ってもらって、撮ったのが一番ええねん。俺がやってる写真館はこっちじゃない、あかんわと思った。だから、今「りす写真館」でやってることが、新しいフォーマットになったらええんちゃうかなあと思う。そしたらもうちょっと、写真館に足を運んでもらえる人が増えるんちゃうかな。あの、いわゆる写真館的な写真が新しい客を作ってこなかった。あれを撮られると思うから写真館に行かない。昔なら良い写真やったけど、今の世の中ではすごい時代を感じてしまう。だから今の形が必要やねん。それを「りす写真館」でやってる。

修正なんかしない

かおりさん(奥さんで写真家の伊東かおり)と、今でも写真の話を時々するけど、写真を撮るために、大事なことって何やろうなあっていうのは完全に一致してる。それは愛やねん。愛っていうのは、こうしてあげたい、ああしてあげたいっていうことじゃなくて、ほんまに愛情持って撮れた時って、写した写真にたぶん自分がおらんねん。たとえば、俺が今やってる写真館の写真は皆、笑ってるやん。あれって俺が写ってしまってる。笑かしてるのは俺やから。笑わしたり、そういうことは何もせずに、その人が最高にええ状態にしてあげたい。笑かすのはある意味、俺の逃げやから。笑ってもらうことで、たぶん写された人はいい写真やと思ってくれる。でも、俺の本当の思いとしては、別に笑ってなくても何をしてても、あなたは素晴らしいよ、そのままでええよ、と思ってるねん。そのままで撮って、「あ〜、ええ写真撮ってもらったなあ」って思ってもらえるかどうかが不安やから笑かしてしまうねん、俺は。

仕事で学生さんとかを撮る機会があるけど、修正してとか、ちょっと細くしてとか、最近はよく言われる。そんな風になってしまってるのが、俺はものすごい嫌。ええやん、別に太ってても。それがあなたのええとこやと思ってるから、人と違ってるからええねんと思ってるから。そう思える写真にしたいねん。今までの自分でよかった、これまでの自分はこれでよかったと、写真を見た時にそう思えたら、その瞬間からええ感じになるんちゃうかなと思う。たとえば、シワが嫌で消してほしいって思ってる人も、まあええかって思える写真にしたい。だってしゃあない。生きてきた結果のシワやから。それを嫌やと思うんじゃなくて、それが自分やなあって受け入れる。受け入れたら、もう楽やでって思うから。

写真館の意味

最初は他の写真館とちがってネガも渡してあげたらええと思ってたけど、結局渡してない。というのも、島根県大根島のかつて写真館やった場所に行った時、すでに亡くなった店主のおじいちゃんが家族にも内緒で、床下にガラス乾板(昔のネガのようなもの)を隠してた。それが出てきたからって写真展を開いたら大根島のおじいちゃん、おばあちゃんたちが涙流して喜んだという話を聞いた。

あとこれはついこの間、島原の写真館に行った時のことやけど、雲仙の噴火で家を流された人が、息子がもうすぐ結婚するのに、写真がないと。でもそういえば、息子が小さい時に写真館で写真撮ったけど、残ってるかな? って、災害からもう20年経ってるのにそれを言いにきた。で、実際にその写真館にはネガが残ってた。それはな、もう、写真館がアルバムってことやん。だから、本当に大変な商売やねん。写真館っていうのは。意味のある、責任感のある。ほんまに幸福な仕事やと思う。

伊東俊介(いとうしゅんすけ)
1971年生まれ。雑誌『Re:S』の写真長を務めるほか、『天然生活』など、様々な媒体で活躍の写真家。ライフワークともいえる、日本の旅風景を撮った「日本シリーズ」、家族写真を撮るという行為の大切さを伝える「りす写真館」など、銀塩写真を通した社会的試みが注目を集めている。