皇室の方々が地方などを訪れる、その旅の行程写真を1冊に収めて献上する皇室アルバム。細部にわたって完璧なつくりを要求される、この皇室アルバムを作ることができる職人はいま現在、数えるほどしかいません。そのうちの1人が、今回ご紹介する串崎昌三さん、74歳。アルバムを作る人が減っている今の時代、確かな技術をもつ串崎さんのような職人はその技を発揮する機会がどんどん少なくなっています。

職人の技

町工場や住宅が並ぶのどかな下町、東日暮里に社屋を構える串崎東洋堂。周辺の荒川区は、その昔、東京で最もアルバムを作る会社が多かった地区だといわれています。会社の2階にある仕事場におじゃますると、部屋には、アルバム、製本に使われる道具や材料が所狭しと並んでいます。その中で黙々と手を動かす串崎さん、私たちに気付くとやわらかな笑顔で迎えてくれました。
伺った時期はちょうど皇室アルバムの発注が少ない時期ということながら、今回は特別に私たちのために皇室アルバムの表紙を作ってみせてくれることに。いざ作業が始まると、先ほどまでのニコニコした笑顔が一変、キリっとした表情になる串崎さん。表紙に貼るクロスの裏に刷毛で糊を塗り込むときも、糊を塗ったクロスに、3種類のボール紙をまっすぐに配置して貼りつけていくときも、とにかくすべての行程において、見ているこちらがドキドキしてしまうほどに大胆に、一瞬の迷いもなく進めていきます。その所作は流れるように美しく、そして、言うまでもありませんが、仕事は隅々まで完璧です。
工程を見せてもらうなかで、いちいち気になって仕方がないのが道具の存在。串崎さんお手製の竹べらや定規、また既製品の一部も自分の使いやすいように微妙に手を加えられていて、そのすべてが長年使い込まれていい味が出ています。道具のひとつひとつに串崎さんの職人としての歴史が垣間見られました。

時代とアルバム

素晴らしい技術を目の当たりにし、しばらく興奮さめやらぬ私たちに、串崎さんは、奥の棚から完成品の皇室アルバムを出してきて見せてくれました。ハトロン紙で包まれた皇室アルバムがはらりと姿を現したそのときの感動といったら! 緊張しながら実際に手に取らせてもらって見ていると、「これは、1度納品したけれど、台紙に小さなキズがあるってことで戻ってきたものでね」と串崎さん。なんでも、納品をすると新聞社の担当の方々が白手袋をはめて、3人がかりで完成品をチェックするとのこと。本当に、極めて高いクオリティを要求される、日本でも数少ない皇室アルバム職人である串崎さん。

「僕がアルバムづくりをはじめて、かれこれ…………50年だな。もともとはうちの親父もやってたの。親父が明治16年生まれだからね、ここが始まったのは明治の30年とか40年くらい。きっかけはね、僕らもわからないんですよ。特に、おれ1人っ子なもんだからね、兄貴でもいれば聞けたりしたんだろうけど。しかも戦争の時代だったから、ゆっくり話すこともできなかった。でも、昔を知ってる人に言わせると『親父さんは名人だった』って。文化アルバムっていう、今は無くなっちゃったんだけど……けっこう大きなアルバムの会社が前にあって。そこの創設者がうちの親父の弟子だったの。うちも神田の末広町で商売やってたんだけど空襲でやけちゃって、でも、文化アルバムさんの会社は場所がよくて焼けなかった。だから、そのままそこで商売したでしょ、それでのちのちに成功して。そのころはアルバムもよく売れていて、百貨店でアルバム売り場にお客さんが来るんだけどレジの方がおっつかなくて精算を待つお客さんが並んでたって。そういう時代があったんですよ」

百貨店でアルバムを買う。世間におけるアルバムの位置づけが現代とはまったく異なるのがわかります。串崎さんは、皇室アルバム以外にも百貨店に卸すアルバムを今もなお丁寧な手仕事で作り続けています。「昔はね、僕らがつくるような高いアルバムも買っていただけて、仕事もやっていけてたんですけどね、今はもう大量生産の安いのがいっぱいあるから、僕のまわりのアルバム職人もほとんどやめちゃって。今のは、ほとんどみんな機械生産だから、こうやって手でやってるっていうことは今じゃ貴重なんだけどね……。今の人はもうアルバムに重要性を感じていないのかもしれない」
串崎さんはそう言いつつあきらめ顔です。

アルバムの価値

デジタルカメラ全盛の昨今、写真をプリントする人が減り、それに伴ってアルバムを作る人が減っています。しかし、ロフトのバイヤーさんによると、最近また、店頭ではアルバムが売れているという事実もあるそう。アルバムを求める人がいなくなったわけではないのです。ただ、いまはアルバムを買う人が、百貨店からロフトなどに移っているだけ。しかし実際は、両方の店舗で置かれているアルバムに、各々の良さがあります。だから、きっと串崎さんが作る、手仕事で作られたアルバムの存在とその魅力が再認識されたなら、それを改めて求める人が必ずいるはずだと思うのです。そう確信したとき、ちょうどお茶を持ってきてくれた串崎さんの奥さんが口を開きました。
「うちはね、娘のお友達が結婚するようなときには、名前を聞いてその名前を載せたアルバムを作って、お祝いにお金と一緒に渡したりしてるの。そうするとね、皆さんすごく喜んでいただける。だからね、きっとちゃんとしたアルバムも欲しいと思ってくれる人が本当はいるはずなのよね」
そう! そうなんです。だから、ぜひ串崎さんのアルバムの魅力をたくさんの方に知っていただきたい。その場を、私たち「写真のことば編集部」にプロデュースさせていただきたい。そう心に決めました。アルバムという素敵な文化を未来に繋いでいくために。