実は、今回の特集を決めたとき、最初に頭に浮かんだ写真屋さんがありました。それは、大阪にあるmogu cameraの小倉優司君です。大学卒業後、滋賀県にあるラボ(現像所)で8年間プリントの仕事をしたのち、その技術をもとに写真店を始めた小倉君。僕たちは彼に話を聞かずしてこの特集は完成しないと思い、一番はじめに連絡をしました。しかし、その返事は「ごめんなさい」。小倉君は、尊敬する師匠と過ごした職場を辞めるとき「小倉、おまえは立派なラボマンや」そう言われて、ラボマンとしての誇りを胸に新たな道へと進みました。だから、自分が「フォトシエ」というくくりで紹介されてしまうことが果たして正しいのだろうかという思いから「ちょっと考えさせてください」と答えを出したのです。返事を聞いたぼくたちは、彼の真摯な姿勢に、よりいっそう心を打たれました。その想いを知りたい、伝えたい。そしてぼくたちは小倉君に、まずは奈良にあるラボ、トミカラーに行き、ラボマンという存在を勉強してくることを伝えました。すると、小倉君から返ってきたのが「僕がその意志を受け継いだラボ時代の師匠、岡田さんが今、そこで勤めているんです」という言葉。これは驚くべき偶然! 絶対に岡田さんに話を聞かなくては。興奮する気持ちを抱え、ぼくたちはトミカラーに向かいました。

奈良県奈良市、中心街からほど近い場所に社屋を構えるトミカラーは、今から約45年前に始まりました。工場には、古いアナログの機械から最近のデジタル機までがところ狭しと混在。その様子は写真を取り巻く時代の移り変わりを感じさせます。デジタルの波が来て仕事が激減してしまったラボは、約10年前から次々に廃業へと追い込まれ、今、関西にあるラボはトミカラーを含めて数えるだけとなってしまいました。
小倉君の師匠、岡田義彦さんは「フジクロームRPプリントアドバイザー」という肩書で、今もラボマンとして働いています。岡田さんがこの仕事を始めたのは今から40年も前のことです。

「ぼくは今58歳。ちょうど大阪万博のときにこの仕事を始めて。そのときは写真プリントも一枚100円くらいしたん違うかな? あのころにラボがいっぱいできたんやね。僕が30代くらいのとき、30年前くらいは本当に忙しくて、特に成人式とか七五三の時期になると、朝の8時半から仕事を始めて、帰るんは夜中3時になる日が続いたほど。でも、今はデジカメや携帯が普及して、若者が写真館で写真を撮ることに価値を感じなくなってしまったから」

岡田さんと小倉君が働いていた滋賀のエスアンドエフ株式会社は今から約1年半前に廃業。その後、岡田さんは腕を買われてトミカラーにやってきたのです。

「ラボマンは、営業写真館やスタジオとか、お客さんである店の感性に成りきらなあかんのよね。ある店はイエローを濃い目に、ある店はマゼンダよりの明るめに、って具合。間違えたら大変なことなんよ。それを防ぐために店ごとに色見本を作っておいて。ただ、そこにアドアマのお客さんが入ってくると、さらに注文がややこしくなっていく。
そういうときに大事なのは、絶対に色に対する自身の感性のベースを崩さないこと。言われた注文に対しても『これはそこそこで抑えとかなあかん』とか、ちゃんと判断しないといけない。そこをあやふやにして、お客さんに言われるがままにフラフラと色を変えてしまうと、結果めちゃくちゃになってしまうのよ。オグ(小倉君)も、そういう仕事をちゃんとやり遂げて来た。だから今があるんやね」

ラボにとっての直接のお客さんは写真館などのお店。その先に、直接的には姿の見えない一般のお客さんがいて、それゆえの難しさがあるのです。

「チェーン店とか、たまに写真のことをよく知らないバイトの子が受付にいたりすると、お客さんの要望を理解しないまま、こっちに伝えてくるので意思疎通ができないことがある。だから、そういうことが起こらないように、いろんな資料を作ってね。例えば「コミュニケシート」っていって、濃度や色調などの明確な指示をお店の人に書き込んでもらう用紙を作ったり。明るさが異なるプリント見本、あと、お客さんから部分的に明るくしたいと言われた場合のこちらへの指示方法を示した見本を作って置いてもらったり。よくオグとも『こういうのも作ったらええかな』とか相談してました。結局大事なのはお客さんとのコミュニケーションやからね。昔、『岸辺のアルバム』ってドラマの中で水害に遭ってアルバムを失った家族が『車や家はお金で買えるけど誕生日や七五三、成人式なんかの思い出が詰まったアルバムはお金じゃ買えない。それを失ったのが一番悲しい』って言っていたのが印象的で。自分は、ラボマンとしてお客さんのそういう大事な写真を焼いてるのだと思うと嬉しいもんやね」

縁の下の力持ち。岡田さんは、技術だけでなく、そんなラボマンという仕事の意味も小倉君に日々伝えてきたのです。

「オグは、今一緒に会社をやってる友達のカメラマン、平野愛さんの写真も、昼休みに昼飯を3分で終わらせて、のこりの時間でずっと焼いとったわ。そんななかで自分の色を見つけていったんやろうね。エスアンドエフが潰れたのは、オグが辞めた6ヶ月後くらいだったかな。最後に、建物の中を全部、便所まで写真を撮ったんやけど、ファインダーを覗いてたら涙が出てきてね。今でも自転車でそばを通ると、そのまま残っていて、やりきれない気持ちになる。僕はたまたまここに雇ってもらえたけど、他のメンバーはみんな辞めちゃった。僕はとにかく写真が好きやったからね。他のことせぇ言われても出来ひん。そんな自分のことを『魂を引き継いだ』って言ってくれる若者がいることは、すごく嬉しいね」
岡田さんは小倉君が残していった直筆のイラスト入りの箱を、今も大事に持っていました。

「これは、オグの遺産(笑)。現像の時に使うクリップの壊れたやつを、当時ここに入れてたんやわ」

そう話す岡田さんの表情は、自慢の息子の話をする父親のようでした。

トミカラー
奈良県奈良市三条桧町16-13(TEL. 0742-33-5125)
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