大阪にある阪神百貨店のなかに、昭和20年代からつづくというカメラ修理コーナーがあります。これまで、一眼レフのミノルタX700や、二眼のミノルタオートコードなど、何度か修理をしていただいているのですが、良心的な価格というだけでは言い表せない、仕事の誠実さにずっと心惹かれていた僕は、いよいよ未来あると確信している、このカメラ修理という仕事の魅力を伝えたいと思い、店主の江守冨美雄さん(62)にお話を伺ってみることにしました。
藤本   いつ来ても修理されてるイメージなんですが、コンスタントにお客さんは来られてるもんですか?
     
江守   そうでもないですよ。1時間2時間誰も来ない時もありますし。でも確かに修理しなきゃいけないものはずっとありますね。結構、最近は若い方が多いんですよ、20代前半の人。そういう人が古いカメラ自体を買って下さることもあるし、おとうさまやおじいさまが使っていたカメラを家の中で見付けて、これ使いたいから修理して下さいだとかね。その時代のカメラってみんな金属でできているので……

例えばさっきまで修理していたカメラで、これも20代の女性がシャッターが切れないって持ってこられたんです。ほら、このケースとか良いでしょ。昔はカメラが高かったからケースもお金をかけて作れた(笑)。このカメラ、いま現在の市場価値でいったらそんなに高い値段じゃないけど、その家で代々使ってこられた記念のカメラだから。こういうカメラの場合はシャッターが故障してても壊れてないんですよ。要するに粘ったり油切れして動きが悪くなってるから、全部はずして掃除をすればまた動くようになる。

     
藤本   露出計なんかも直るんですか。
     
江守   例えばこれはまた別の方だけど、そのカメラの露出計は直らなかったけど、同じカメラの部品を調達してやれば、まだ生きてるやつってのは結構あるんですよ。そういう部品を組み込んでやる。うちなんかは昔から修理をやっているから古いカメラがいっぱい倉庫に寝てるので、そういうところから同じ部品で生きているものを探して入れてあげることも出来ますからね。そもそも、うちの父が阪神百貨店にお店を出したのは昭和20年代。それ以前は戦前の話になりますが、父はミノルタの前身、千代田光学で働いていて、武庫川のあたりに工場があったそうです。尋常高等小学校を卒業したら丁稚奉公みたいなものですね、カメラのいろんな金属を磨かされたみたいです。でも、徴兵に引っ張られたところに太平洋戦争が起こったものだからそのまま兵役に。戦争には6、7年行ってたんですよね。戦争から帰ってきてからはまたミノルタに戻ったんだけど、工場は当然焼け野原。何も作られへんでしょ、焼け跡の掃除ですわ。そうこうしている間に小さいカメラ屋さんが戦後いっぱいできたわけよ。そうしたらカメラを修理したり触れる人がひっぱりだこになった。「給料倍にするから来てくれ」っていう話があって行ったんだけど、しばらくして店がつぶれちゃった。そのときに、阪神百貨店にカメラ売り場があるから来てくれっていうことになって、そのうちに今度はカメラの修理技術を持ってるなら修理専門の店としてここでテナントを持たないかという話を阪神さんにもらって。それでカメラ売り場とは別に修理の店を……それが昭和20年代の後半くらい。だからその頃からずっと阪神百貨店の中にはあるんです。

父は2年前に亡くなりましたが、私は子どものころからその姿をみてきたのに、カメラに興味がなかったからねぇ(笑)。私が小・中学校の時は父はすごく忙しくて、家に持って帰ってきてまで修理を一生懸命やってましたけど、全然手伝わなかった(笑)。私は学校を卒業してからは東京でサラリーマンを9年間やってたんです。でもその会社の業績が悪くなって希望退職を募った時期があったんですね。父も歳をとってきて誰か店を継いでくれないと困るからと言うので、だったらこの機会に大阪に帰ろうかなと。それがだいたい30年前で僕が32、3歳の頃。カメラの知識は全然ないから、父の後ろについていろいろ教えてもらいながらやっていったんですね。父は亡くなる2ケ月前まで現役でやっていました。ありがたかったですね。最後の方は週に3日とか、それも12時前から4時すぎくらいまで、あまり身体に負担がかからない程度にね。

今はいよいよ一人です。一応アルバイトの人が来てくれてはるんですけど、なかなか技術はすぐに伴いませんから店番をしてもらっています。やっぱりお客さんから預かっているものは変に触られへんから、買い取ったカメラを分解して手入れして綺麗に出来るようになってから……これはうちが買い取ったものだから失敗しようがなにしようが構わない。だけど、お客さんのものを傷つけたり凹ませたりしたら同じものはないですからね。貴重なものを預けられる場合もあるし。だからあまりきれいなカメラが来ると嫌なんです(笑)。適当に使い込まれたカメラの方が修理する側として気が楽。たまに「このカメラきれいでしょう。大切にしてるんです」って言われるのが一番つらい(笑)。もしものことがあったらね……。個人のお店じゃなくてデパートでやってるから余計に気を遣っていかないといけないんです。

     
藤本   なるほど。一番気になるのは江守さんの技術を継いでいってくれる人がいるのかどうかなんですが。
     
江守   うちに限らず、たいていのところはいないと思います。うちは特に娘2人なんで、なかなか継いでもらえない。本当はカメラ業界としてね、考えた方がいいと思うんやけど。カメラって何年か経ったら部品が廃棄処分されるらしいんです。残しておくと管理する人や場所が必要になるし、資産として税金もかかる。そういうこともあるんで、10年ほど経つと廃棄処分になるらしい。もったいない話ですよね。だから、部品がないということで修理不能扱いになる。そういうのも業界全体で対応して廃棄部品を集めたり、修理も高齢で退職された熟練の方にどんどんお願いする。講習会をやって若い人も募集すればいい。でも日本の業界って、その年その年での利益は追求していくけど、過去のことを継いでいこうという意識があんまりないんですよね。新しいものが良いと思うのが日本人だから(笑)。
     
藤本   若い人、そのアルバイトの方に頑張ってもらって技術を覚えて欲しいなぁ。
     
江守   いや、若くないんです。私と同じくらい、もう定年退職してます。若い人にやってもらうと、将来を考えてあげなあかんでしょ。その人がこの店でやったことで食べていけるようなかたちを取らないと、無責任には雇えない。私はそら、若い人にやってもらえたら助かるけど(笑)。
     
藤本   そうですよね。若い人が本当に自分の意志で考えて、食べて行ける確信を持ってこの世界に飛び込んできてほしいですね。少なくとも僕は確信してますけどね。カメラ修理の仕事は、この先100年食べて行ける世界だと。
     
阪神梅田本店 カメラ修理コーナー
大阪市北区梅田1-13-13 阪神梅田本店8階
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