写真愛好家はもちろん、プロの写真家の愛用者も多いことで知られる、富士フイルムの高級コンパクトフィルムカメラ「KLASSE」。クラシカルなデザインに心惹かれるこのカメラは、各企業が次々にフィルムカメラの生産をストップし、デジカメへと舵をきった時代に生まれました。数多のこだわりが凝縮したフィルムカメラが、いまでも現行で売られている幸福。この一台が世に出るまでには様々な出来事があったといいます。開発メンバーの富士フイルム上野隆さんにお話を伺いました。

初代クラッセ

KLASSEは2001年に初代といわれるものが出たんですね。当時はまだデジタル一眼レフも300万画素機から600万画素に移るかどうかの頃で、しかもその性能なのに30万円くらいしていた時代。ですから初代のKLASSEはフィルム愛好家のためのコンパクトカメラという位置づけだったんですよね。で、時をほぼ同じくして、高級コンパクトの元祖と言われるカメラの後継機が他社から出ちゃった。うちは高級コンパクトを作るのは初めてだったわけで…それまで普及価格帯のコンパクトはいっぱい出していたんですけど、そうすると他社に一日の長があって。でもその分、他社の方が値段も高かったですし、うちはその7割くらいの値段で売ってたんで、性能、質感もその7割ね、といい住み分けは出来てたんです。

だけどせっかくだから富士フイルムも本当のというか、他社に対抗出来る操作性や性能を持ったコンパクトカメラを作ろうよ、という話がすぐに立ち上がって、KLASSE II をやることになったんですね。それが現在販売しているKLASSE SKLASSE Wのルーツです。そのときにたまたま僕が社内でも無類のカメラ好きということが認知されていて、というのもKLASSEの初代が出たときにいろいろと苦言を呈したんですね(笑)。「ちょっとこの操作性はないんじゃないの」とかいろんなことを言って、じゃあお前がそういうところの面倒を見ろ、ということで開発アドバイザーとして参加することになりました。ただプラットフォームとなるフレームは旧KLASSEのものを共用するという制約があったので、大きくする、小さくするっていうことはできないんですね。初代KLASSEと同じガワを使ってどこまでブラッシュアップ出来るかという、いわば限られた中での改良ですね。マイナーチェンジというのが実態でした。

試作機完成! しかし……

そのときにまず、僕が言ったのは初代KLASSEでは前面についてたダイヤル。これ、マニュアルフォーカスの距離ダイヤルだったんですよ。でも、コンパクトカメラでマニュアルでフォーカスをコントロールしながら撮るっていうのは上級すぎるでしょう、と。逆に高性能のオートフォーカスさえ積めば使いやすいし、こんな良い位置にはもっと使用頻度の高いものを置くべきだと言って、ここに露出補正を持ってきた。

それから外見ですよね。2案あったんですよ、僕が提案したのはクラシカルなもの。21世紀になってデジタルの時代になるのは間違いないので、フィルムは原点回帰しましょう、と。パッと見、いかにもフィルムカメラという格好にしたいって提案したんです。もう一つの案はその当時流行していた未来感のあるボディで、パッと見、デジカメのような感じでした。とはいえ開発チーム10何人かで意見は分かれたんです。でもギリギリの差でクラシカルな方の案が採用されたんですね。そんなこんなで03〜04年くらいに試作機が出来たんです。

だけどそこへ急激にデジタルカメラの波が押し寄せてきた。一眼レフもどんどん安くなって600万画素以上の機種が20万円を切るくらいになってきて。そんな時代に10万円もするコンパクトフィルムカメラが果たして売れるのか? と。さらに社内の販売体制の変更もあって、結果、デジタル時代にこれはタイミングが遅すぎたということで開発中止。04年くらいにこのプランはなくなってしまいました。

凍結からの復活

その後、ご存じの通り世間はどんどんデジタル化していって、京セラさんの撤退があったり、ニコンさんもフィルムカメラの新規開発は行わないという発表をしたり。そういうことが相次いだなかで富士フイルムとしては「フィルムを続けます」宣言をした。そして、各メーカーがどんどんカメラから撤退していくのに、フィルムだけ作ってもしょうがないから、フィルムカメラを作ろうという発想になったんです。そのときに、白羽の矢が立ったのが再びKLASSEでした。そういや、あれ途中まで作ったよなぁと。凍結から2年くらい経ってたかな。それで再び開発アドバイザーに復帰しました。

実はそれ以前に出来上がっていた試作機を僕が預かってたんですね。で、「このままで発売できるか?」って言うから、「え、ちょっと待って下さい」と。撮りはじめてみると、当然いろんなところに不満が出てきたんですよね。それを徹底的に直したいという話をして結構直したんです。露出補正ダイヤルの形や、細かいところでいうと、ストラップをつけるための吊り輪の角度が90度違うとか。これをちょっとひねるだけでも数百万円ってかかるんですよね。

あと、KLASSEという文字が上部に入ってるじゃないですか。最初はこれが正面に入ってて、見ればKLASSEって分かるんだから、ここで主張するのは野暮だと言って取ったりとか。それから、逆光対策をさらに強化するなど性能面もどんどん追い込んでいって。一番お金と時間がかかったのがシャッターユニットですね。旧KLASSEは絞り開放時に290分の1秒が最高速度なんです。それと同じ性能だったらすぐ出せますよと言われたんですけど、僕らは500分の1秒にこだわって1年半かけて作ってもらった。だから05年頃から見直しをはじめて、06年末ギリギリにようやく発売出来たんですよ。そういった意味で、無茶苦茶こだわりとお金がかかってる自信があります。

クラッセというスタンダード

結局、KLASSE Wの発売当初の定価が9万5千円、KLASSESが8万9千円ですか。みんな高いって言ってたんですけど、もともと高級コンパクトって、コンタックスのT2は13、4万円したと思うし、リコーのGR1とかそのあたりは10万円前後で、やっぱりそれくらいの値段にはなっちゃうんですよね。実際、今は4万円ちょっとで売られてますから富士フイルムとしては正直大変なんです。

でも、大勢のお客さんに使ってもらってフィルムの良さを味わってもらいたいし、これはもうフィルム普及のための機械ですから。最初出た頃は写真好き上級者のサブカメラみたいなスタンスで、実際にそういう人たちが買っていきました。シニア層というか。で、だんだん値段が下がるにしたがって写真趣味層のちょっとハイエンドな若者たち、男性や女性でも30代で一眼は持ってるんだけど、ちょっとサブカメラが欲しい、みたいな人が買っていった。今はこれからフィルム写真をやりたいんだけどっていうエントリー層がこれを買っていく。っていう風に、ある意味どんどんポジションが下がってるんです。高嶺の花のカメラから中間のサブカメラになって今はエントリーカメラになった。もちろんそれに合わせて値段が下がってるからなんだけど。
ただ、これでフィルムカメラの世界に入るのは僕はとってもお薦めで、絞りも付いてるし、シャッタースピードも分かる、露出補正も分かるということは、すべてを勉強出来ますよね。写真ブログやSNSなんかで仲間を作って、デジカメではいろいろやったけど、憧れのプロの人や歴代の格好いい写真を撮ってきた人たちは一度はフィルムで撮ってきた。そこでフィルムやってみたいなと思ったら、とりあえずKLASSEから入って写真のいろはを覚えて、その後にいい一眼を買おうかなとか、いいレンジファインダーを買おうかなとかいうことでもいいんじゃないかなぁと。

そもそもKLASSEは開発に携わりながら、これが富士フイルム最後のフィルムコンパクトになるかもしれないと思ってたし、仮にそうなったときに、その終わりにふさわしいじゃないけど、奇をてらってるわけでもなく、未来的なわけでもなく、フィルムカメラってこうだったよねというかたちでフィニッシュしたいなぁと思ったんですよ。外観も別に目新しくないけど、逆にもうここまでいっちゃったら変わりようがないじゃんっていうデザイン。だからこそ、その時代に見合った価値を見つけて、まだ現役でいてくれてるんだなと思うと、やっぱり嬉しいですね。